眼鏡越し 岡目八目、右も左もぶっ飛ばせ!

また会おう、浜尾朱美




1994年年11月7日の月曜日 、私の店のロジータに1人の美しい女性が訪れました。
彼女はいくつかの可愛いめがねをチョイスし
私は後日、出来上がり次第お送りすることを約束して その日は別れました。
もちろん私は、彼女が何者かわかっていましたし
日刊スポーツに競馬のコラムを連載してることも・・・・。





メガネが出来上がり、東京へ発送する時、私はちょっとした
いたずら心をおこし、メモ書きをメガネのケースに忍ばせました。
「間違っていたらごめんなさい。今回、浜尾さんが京都にお越しになられた目的は
淀の雨に咲く 三千本の菊の花をご覧になるのが目的だったのでは?
七馬身差、強かったですね」
と書いたメモ書きを、ナリタブライアンの写真と一緒に。






ほどなくして日刊スポーツに「あなたも そういゆう方ですか?」
というコラムが掲載されました。私はすぐに長文の返事を送りました。
一枚の単勝馬券のコピーを貼りつけて・・・・・





手紙の冒頭で「私の机の中に、いまでも大切にしまってある馬券があります。
これがそのコピーです。浜尾さん、何だかお判りになられますか?
1978年1月22日、この馬券を握りしめて京都競馬場の第4コーナーにいた私は
粉雪の空に墜ちてゆく流星を見つめながら、呆然と立ち尽くしていました」





この時、手紙を手にしていた彼女は「テンポイントだ!」
と、叫びながら立ち上がったそうです。
それから家族付き合いが始まりました。お互いの家も行き来し、旅行も行きました。
鹿児島、沖縄、楽しかったなぁ。
時には妻と二人で、私は留守番なんてこともあったっけ。





京都の馬好きの兄ちゃんという名で
彼女の書籍にも何度も登場させてもらいました。
お恥ずかしい話ですが、私が胃癌をやった時、彼女が
「ひとっちゃん、大丈夫。わたしがだっこしてあげるから」
と、頭を抱きしめてくれた時の、あの透き通る様な笑顔。
その笑顔がこんなに早く、見られなくなるとは思いもよりませんでした。
むろん病気のことは昔から知ってはいましたが
まさかこんな結末になるとは・・・・。





不覚にも 画面がにじんできました。
さよならで送りたくない。
ありがとう 浜尾朱美
また会おう 浜尾朱美
生涯最高の馬友達の人生に拍手。