「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっ飛ばせ!」







・・・・・・・・ONと一緒に過ごした子供達・・・・・・・・・・・・


練習を見ていた私の父親は、次の日 
練習に参加していた子供達の親に連絡を取り始めました。
皆でこのチームをバックアップしようではないかと呼びかけたのです。
今時のよくある、「親がしゃしゃり出てきて」というのではなくて、
あの人数の子供達を面倒見ている監督さんに対して
「ほっておくのはあまりにもかわいそすぎる。
週に一度の休みをあんなに一生懸命、子供の面倒を見てくれてるのに
知らないふりは出来ない。」
と親に声をかけたのでした。




翌週の日曜日に、7〜8人の親達は、一人で25人の小学生を電車に乗せ、
ノックバットを握り締めながら、フラフラになって子供達に檄を飛ばす監督を見て、
全員が絶句しました。




その日の夜に親達は集まり、口々に
「知らぬとはいえ、申し訳なかった。なんとか彼(監督)の力になれないものか」
という話になったのは当然のことでした。
自分達の子供の野球の技術ウンヌンではなくて、監督さんの熱意にこたえようという
「昭和の親達」の匂いがするつどいでした。




そのころ、私達はそんな事とは全く知らずに、
毎度恒例になっていた「練習後のお風呂屋さん」
へ監督さんに連れて行ってもらっていました。




15人の小学生が1度にやって来たお風呂屋さんは、もちろん動物園状態。
でも、お風呂屋のおばちゃんは、いやな顔を見せずに
「皆チャンと洗いや」と声をかけてくれます。




お風呂もそこそこに 上がって、ジュースを飲んでるとテレビでは白黒のプロ野球中継。
ONがバッターボックスに立つたびに、飲んでるジュースを口から離して、
食い入るように二人の「神様」に見入っていました。
ホームランでも出ようものならお風呂屋さんは子供達の歓声で大騒ぎ。
くやしがる大人の阪神ファンを尻目に、大歓声を上げていました。
そして、その横で監督さんは、他の客に謝っていました。




日曜日の夜のお風呂屋さん。これもONという神様が、
そして監督さんが僕達にくれた、かけがえのない大きなプレゼントだったのです。  続く。