「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっとばせ!」



おくりびと」のアカデミー賞について、色々書こうと思っていましたが、
ネットを見ていると産経デジタルの健康ニュース(2月20日)に、
主演男優の本木雅弘さんの義母、樹木希林さんのインタビューが載っていました。



僕がクドクド書くより、このインタビューから抜粋して皆さんに見てもらう方が、
はるかにわかり易く、有意義と思いましたので、
今日は樹木さんのインタビューをご覧下さい。
(樹木さんは平成十七年に、乳がんの手術をされておられます。
これは、手術直前に夫の内田裕也さんに向き合われたお話です)




裕也さんは昭和五十六年に私に無断で区役所に離婚届を出しました。
私が離婚無効の訴訟を起こし、裁判官にまで
「あんなに嫌がってるんだから、別れてあげなさいよ」なんて言われて(笑い)。
裁判で籍は戻ったけど、連絡をとるのは年に一回だけ。





このまま裕也さんを恨んで死ぬのも悪いと思って、
ほったらかしにしていたことを謝ろうと思ったの。
でも夫なんてあのタチだから、二人だけでは話はできないと思い、
知人に「謝りたいから、仲介して」とお願いして食事の席を設けてもらったんです。
でも夫は、次から次へと違う話をして核心には触れさせてくれなかった。
そのうち時間が無くなってきて、仲介者が時計を見始めたから
「ちょっと私にしゃべらせて!謝らせてくれ!」
首根っこつかまえて謝るって感じだったわね。
仲介者には「けんかごしで謝ってる現場を初めて見た」と言われました(笑)。





そのとき、裕也さんは何も言わなくて、そのまま、さよならって別れたんだけど、
そのあと、別の知人が飲食店でものすごく機嫌のいい裕也さんと会ったらしい。
夫は何かを承知したんでしょうね。





それから月に一度、裕也さんと会うようになって、私達夫婦の長い戦いは終わりました。
お互いに病気して、体力が無くなっちゃっつたから通じあうようになったんだろうね。





熟年離婚なんて言葉も浸透してきちゃったけど、老いてから別れるのはもったいないわよ。
いやな話になっても、顔だけは笑うようにしているのよ。
井戸のポンプでも、動かしていれば、そのうち水が出てくるでしょう。
同じように、面白くなくても、ニッコリ笑ってると、だんだん嬉しい感情が湧いてくる。






死に向けて行う作業は、おわびですね。
謝るのはお金がかからないからケチな私にピッタリなのよ。
謝っちゃったら、すっきりするしね。





がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。
ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、
その人との時間は大切でしょう。
そういう意味で、がんはおもしろいんですよ。




性格は人とぶつかって、すぐに分かるけれど、自分の体は結局、自分で理解するしかない。
私は乳がんになり、ホルモンのバランスが良くないことが分かりました。
死ぬ時も「納得がいかない」なんて思いたくないから、
死を意識して、今を大事にするようになりました。
遺言状を書いたり、六畳ほどの部屋いっぱいにあった本を売ったり。
娘婿の本木雅弘さんには「死ぬ時は自宅で死にたい」と伝えたわよ。
本木さんは私の顔をまじまじと見つめて「それにしても樹木さんは死なないですね」だって。
「大丈夫よ、そのうち死ぬから」と答えたわ(笑)おくりびともいるし。
死ぬ覚悟はできてます。




山あり谷ありのがんの道を体感しながら抜けていく。
病気はただ治すだけではつまらないのよ。
病気によっていろんなよじれが見えてきて、人生が変わる。
病気は「賜りもの」だと思っています。


                         
産経デジタル リビング健康ニュース 二月二十日 10.38より






もちろん私はこんな覚悟はできていません。死ぬまで出来ないかもしれません。
だから、こんな死生観を他人にすすめたりするつもりもありません。
でも間違いなく、このような人間関係、環境の中で、
本木雅弘さんの「おくりびと」は生まれ、熟成され、完成されたのだと思います。
そして私たちはこの名作に出会うことが出来たと思っています。
いい映画作られる時は、それにかかわる人の人生全てが、
知らず知らずのうちに映し出されているものなんでしょう。





日経の株価はバブル崩壊時を超えて下がり続けています。
百年に一度ともいわれています。
でも、今回の「おくりびと」と「つみきのいえ」の受賞は、
私たちに生きていくことの上で、順番を考え直すようにと、
どっかの神様が日本人に呼びかけているように思えてなりません。
私たちはまだまだ見捨てられてはいないとの思いを、強く感じた二月二十三日でした。