「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっとばせ!」





エンタツアチャコの登場で、今の漫才の原型ができ
それまでのいわゆる「萬歳」は駆逐され、ほとんど姿を消しました。



その後、中田ダイマル・ラケット夢路いとし・喜味こいしのような
いわゆる「しゃべくり」が漫才として定着したのでした。
もちろん横山やすし・西川きよしもです。



とにかく新しい形が生まれるときには
なにかしらの陣痛をともなうものです。
ユーチューブでやすきよの漫才と
ダウンタウンを見ていると、ある違いが見えてきます。



前者の観客は、みんな同じ受け取り方をして同じ方向を向いて笑っています。
そしてそれこそがお笑いのあるべき姿であると考えますが
後者は明らかに違います。
観客は何種類もの違う受け取り方をして
各々違う方向をむいて笑っています。
それでよし、いや、そうあるべきだと考えてると見受けられます。
(さんまはどちらかというと、前者の味わいでしょうか)



横山やすしの「お笑い」の定義からは逸脱してたのでしょう。
それが、あのチンピラの立ち話発言につながったと思います。



だから前に述べたように、「横山やすしのおぼえめでたく・・・」だったら
香川登志緒さんと握手をすることもなかったし
談志師匠をして「ウディアレンうんぬん」なんて話はなかったし
何よりも今のダウンタウンは無かったと思います。
歴史はやはり繰り返されたのでした。     続く。