「くたばれ眼鏡情報!人マネ禁止!」
書いてるやつらも素人だ!大丈夫!書を捨てて、町へ出よう!
・・・・・歌舞伎はつらいよ 南座の夜はふけて・・・・・
今から 三十年ぐらい前、当時 競馬と麻雀にあけくれていた極楽棒の持ち主の私を五十をすぎた父親が、見るに見かねて半ば、強制的に 南座へ連れていきました。
もちろん、なんの知識もない私にとってそれは 退屈きわまりなく、「はよ帰りたい」の三時間で、十九歳には、
拷問のような時間だったわけです。私の父は変わっておりまして、自分のことを森繁久弥か、宇野重吉とおもいこんでいる、大変に、たちの悪い男なのです。
もちろん、歌舞伎にも大変うるさくて、興味のないものにとって、迷惑この上ない男で、この日も舞台が終わった後、私を食事+酒というまさしくエサで釣って「初めての歌舞伎」の感想をきいたうえで、おのれのウンチクをしゃべりまくる、いつものパターンでした。
わたしは邪魔くさそうに返事を返した後に、「なあ、親父、見てても、なにしゃべってんのか さっぱりわからん。おまけに あらすじすらわからん。俺になにしゃべれていうねん?こんな歌舞伎なんて 俺ら若いもんには、むりやで。」 そう言ったとたん、父は大笑いして、私に一言、「おまえは、としよりか?」思わぬ言葉に ちょつとたじろぐわたしに、父は話し始めました。
「おまえ、ロックのコンサートで、歌ってる 英語の歌詞 意味わかるんか?わからへんかったら つまらんか?どうでもええやろ。あのな、映画や小説と違って、歌舞伎の物語なんか、惚れたはれたの、主人の仇がどうのこうの、たいしたことない話ばっかりで、ストーリーとしては、まことにくだらんもんや。だから、そんなもんわからんでよろし。あらすじしりたかったら、あとで、パンフレッツトでもみとけ。そんなことより、役者の一瞬、一瞬の動き、そのしぐさ、間、これを皮膚で感じ取ること、そしておのれ自身をその舞台の中に同化させてしまうこと。これが、歌舞伎を見るということや。どや、ロックコンサートといっしょやろ」
はじまりの章でついつい 長くなりましたが、三十歳も 年上の人間に年寄りあつかいされて、しかも、一言もかえせず、悔しい思いをしたわけですが、この日から 少しずつ 自分自身のものに対する見方が、自由になってきた気がしました。
オーグリーのオープンまでまだ十年、 先の長い話ですが、間違いなくこの日が 私にとってスタートの日と、思っています。