「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっとばせ」




バカボンのパパのパパ さようなら ついでにお盆でコニャニャチワ」





赤塚不二夫という大天才が神に召されて一週間が経ちました。
私たちの年代は少年マガジンに連載された「天才バカボン」の絶頂期で、
中学生から大人まで強い支持を受けていました。




立川談志師匠言うところの「人間の持つ業を思いきり解き放った」その作品は、
他の追従を全く許さない、そして日本の漫画界に新境地を切り開いたものでした。




今でも覚えていますが、私が高校二年の時でした。
土曜日の七時から「天才バカボン」は放送されていましたが、
その週のストーリーは、パパがある会社に迷い込んでしまって案の定の大騒ぎ。
とうとう、その会社の全社員、そして社長までが切れてしまい、
机は投げるわ、社長の頭にかじりつくわ、
キャスター付きの椅子にのって、階段でサーフィンしだすわ、
とうとう会社はボコボコ。




次の週の学校で、その時はまだ二十代の青年であった倫理の先生が
その話を授業中にきり出しだし、
「ええか、お前ら。漫画をみるなら「天才バカボン」やぞ。
よう考えてみ。ホンマはみんな会社であんなことやったら
おもろいやろなあと、思ってる。せやけど、そんなこと許されん。
それを赤塚不二夫は漫画を通して
「これでいいのだ」と肯定して見せた。
ええか!漫画を見るなら「天才バカボン」。
間違うても「エースをねらえ」なんか見たらあかんぞ!」
とおっしゃっていたのを、昨日のことのように思い出します。




やらなければならないことをちゃんとするだけでなく、
くだらないこと、どうでもいいことだからこそ真剣にやる。
いや、むしろそっちのほうに真顔で取り組む。
反対のことをやってみて、やっと表が見えてくる。
本当に大切なこと、求められていることがわかる。



昔の偉い人が部下に「この用事は急ぎだから、ゆっくりとやってくれ」と言ったそうです。
昔の人も、赤塚先生も、そこんところよくよくおわかりだったのです。



お笑いだから、ギャグだからこそ、くだらないからこそ、真剣に命がけ。
タモリさんの弔辞を聞いて、よりそう思いました。



ギャグもまた真なり。
これでいいのだ。
天国でゆっくりとおいしいお酒を・・・・・。