「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっとばせ!」




中村勘三郎さんが亡くなられました。私より一つだけ上なのに・・・・・。
しかも大名跡勘三郎を継がれ、ご長男が勧九朗の襲名披露のさなかに。
さぞかし無念だったと思います。



先代の猿之助さんと同じように、歌舞伎の世界に常に新しい風を送り込み
これからそれが、もっと大きく花咲くはずだっただけに・・・。
その開拓精神は、故立川談志師匠と相通ずるものがあって
よくテレビで楽しくお話されてるのを見ました。




一度歌舞伎以外の踊りを舞台ですることになりました。
もちろん勘三郎さんは経験がありませんでしたが
稽古して踊れるようになったという話が出ました。
そのとき談志師匠が「それ、どのぐらいで踊れるようになった?」と聞くと
勘三郎さんは「・・・う〜んと・・・45分ぐらいかなぁ・・」



談志師匠は間髪いれずに「な!そうだろ!芸ってもんはそうでなくちゃ!
ちゃんとやってりゃ、フィールドがかわっても、
根っこが一緒だから、一流はすぐ出来るんだ」
わが意を得たりと師匠はしきりにうなずいてました。




このとき横におられたのが和田アキコさん。
最後に一曲歌うことになりましたが、この二人の前で歌うまえに
「どうしょう。私、緊張してる。うまく歌えへんかったらごめんね」と
エクスキューズしてからマイクを握られた場面を覚えています。




玉三郎さんがコメントのなかで
「とにかく、これからの事をみんなで考えなければならない」
とおっしゃっておられましたが、歌舞伎界にとって
まさにそのとうりの大激震となりました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
しかし、世の不条理を感ぜずにはおれません。