「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっ飛ばせ!」




            

             ONと一緒に過ごした子供達



         ホームランボールは 夢のかなたに


昭和40年代、 私達野球少年の夢は王選手のボールに乗って、
年に40数回 カクテル光線のかなたへ飛んでゆきました。
そして、それは20年近く続きました。
幾多の名投手がこの「フラミンゴ オー」に挑みかかりましたが
いずれもその牙城をつぶすことは出来ませんでした。




昭和40年代、3年に一度ぐらい、 シーズンオフに
メジャーリーグのチームがやってきて、日米野球が行われていました。
そのころメジャーリーグは12チームしかなく、
今よりかなりレベルが高かったといわれていました。
日本のチームはなかなか勝てず、全日本チームでも 勝つことは難しい時代でした。




でも、もうその時点で「サダハル オー」の名前は
メジャーリーガーに知れ渡っていました。
なぜなら、この東洋の奇跡のようなバッターはメジャーの投手のボールを、
いとも簡単にライトスタンドに運んでいたのです。それも毎回・・・・




メジャーの投手は目の色をかえて挑みましたが、
このフラミンゴを倒すことは出来ませんでした。
監督の中には、「自分とこのエースとトレードしてもかまわない」
とコメントした人もいました。
カージナルスの監督で、ギブソンという、
その年の20勝投手が王選手にめった打ちにあった試合の後で)




そんな試合の次の日の学校の教室は大騒ぎ。
われらが王選手がメジャーを打ち倒したと雄たけびを上げていました。
メジャーも初めは屈辱と思っていましたが、
何年も続くうちにそれは尊敬へと変わり、
「サダハル オー」の名前は全米に広がりました。




メジャーリーグはこののち、現役の王選手に
リーグとして特別表彰を与え、その業績を称えました。
去年に行われた「ワールドベースボールクラシック」で
外国の選手達の多くが、試合前に王監督のもとへサインをもらいに
ベンチを訪ねていましたが、その光景を見て私は、
40年前の教室で,鼻を高くしていた小学生時代にタイムスリップしたような思いでした。