「メガネ越し、傍目八目(おかめはちもく)、右も左もぶっとばせ!」




「よう話してくれたな。お前の気持ちはよーくわかった。
俺は、今のお前を信じる。目を見たらわかる。
日本にいる時のお前とは、まったくの別人や。
そのつもりで今から話する。聞いてくれるな」



うつむきながら聞いていた彼は、顔を上げてマスターを見ました。
「まず英語を習う前に、やらんなん事がある。
そう、学校の勉強や。
聞いたら,おまえあんまり学校行ってへんらしいな。
ろくに学校もいかんと英語て、そらぁ出来ん事ないけど、
ものの順序としては、おかしいやろ。
そこんとこ、今のお前には、もう理解は出来るな」
「うん、ようわかる」
「さあ、そこでや。まず今、お前のやらんなんことは、
失われた中学の二年間を取り戻すことや。・・・・・どや、高校へ行こうや」




すると彼は、マスターの目を見ながら、すがるように言いました。
「せやけど、僕、今までぜんぜん勉強せえへんかった。
しかも、もう半年しかない。今からやったら、もう間にあわへん・・・」





マスターは、自分の左腕を彼の肩にまわして、力強く引き寄せながら言いました。
「こんな短い時間で、自分を見つめ直して立ち上がれた男にとって、
それよりも時間のかかる勉強なんて、この世にある訳ないやろ」
そしてマスターは、右手の人差し指を彼の目の前に持っていって、
「出来る!お前なら絶対に出来る!」
彼は差し出された指に向かって、とり憑かれたように何度も頷きました。



マスターは、たたみかけるように話しを続けます。
「よし、高校へ入ったら、俺が英会話のレッスンの段取しよう。約束する。
それを実現さすためにも、受験にあたっての勉強の出来る環境を整えんと・・・・。
京都に帰ったら、早速準備に取り掛かろう。
帰りにお前の家に寄って、俺が両親に話をして
熱心で腕のいい家庭教師を探すんや。善は急げや!」
彼は、恥ずかしそうにうつむきながら、小さな声で、でもハッキリと言いました。
「・・・ありがとう」
マスターは武者震いを感じました。
明日を見つめ始めた二人を乗せた飛行機は、満天の星空の中
生まれ変わった彼を待つ日本へと、水平飛行を続けました。





日本に帰った二人は、その足で彼の家へ。
マスターは、アメリカであった事の次第すべてを両親に伝えました。
初めは半信半疑だった両親も、マスターの熱を帯びた話に気圧され、
受験の準備に取りかかることを約束してくれました。




程なく家庭教師も決まり、彼の勉強がスタートしました。
失われた時間を取り戻す戦いが始まったのです。
その様子は、周りで見ているものが目を見張るほどの鬼気迫るものでした。
その結果、彼がその失われたものを取り戻すのに、
そんなに時間はかかりませんでした。
半年後、そのレベルは高校を受験するのに十分なものになったのです。




翌年、志望校の合格掲示板に彼の名前は、ちゃんと載っていました。
ひとつの大きな山を、彼は乗り越えることに成功したのです。



さあ、高校生活とともに、待望の英会話のレッスンも始まります。
マスターの紹介した英会話教師とのマンツーマンのレッスンで、
彼の英会話の能力は、まるで真綿が水を吸うように、上昇の一途を辿りました。
三年間で彼の英会話の力は、教えた教師がビックリするぐらいの
誰にも負けない程のものになっていたのです。




そして卒業と同時に、彼は堰を切ったように日本を飛び出し、
自分を変えてくれたアメリカへ渡りました。
そのアメリカで初めに就いた仕事は、ホテルの皿洗い。
またイチからのスタートでしたが、
そんなことは彼にとって、辛いことではありませんでした。
みんなにチヤホヤされて、ふんぞり返っていた時の方が
ずっと辛いことを、彼は身にしみて判っていたのです。
たとえここでの生活が苦しくても、今の自分を大切にしたかったのです。




月日はたちました。
アメリカで重ねた苦労は、彼をもう少年ではなく、
立派な青年に育てていました。
彼は会社を立ち上げ、その会社は大きく成長しました。
今、彼はその会社の社長として、忙しい日々を送っています。



マスターは、遠くを見るような眼差しで、
「俺も、きっと出来るて言うたけど、保証はなかった。予感はあったけど・・・・
せやけど、彼が日本に帰ってから高校出るまで、
その姿は、こっちが教えられるほどのもんやった。
こんなこともあるんやと、見てるこっちが眩しいぐらいやったなぁ」
当時を懐かしそうに語ってくれました。


え?親はどうしたって?
そんな子供を見て、心を洗われへん親がどこにいます?
組は解散。父親は堅気となり、
夫婦そろって息子の後を追う様にアメリカへ渡り、
今はサンフランシスコ郊外で
多くの孫に囲まれて、幸せに暮らしておられるそうです。
彼は自分を見つめ直した勇気と、その努力により、自らだけでなく
父親の人間としての誇りまでも、取り戻したのです。
天国にいるマスターも喜んでることでしょう。



誰が組の解散まで予想したでしょうか。
時には暴走しがちな若者のパワーは
このように、正しいベクトルを与えてあげることによって、
人知を超えた、とんでもない結果を生み出す可能性を秘めているということです。
それは本人のためにも、私たちのためにも、
そして社会全体のためにも、とても大切な事であるということ。
そして、その方向性を指し示す手助けをすることは、
大人としての責務であるということを、この話を聞いて痛感しました。




荒れる新成人をテレビで見るたびに、この話をしてやりたくなる。
ちょっとおせっかいかな。





最後に、映画「七人の侍」のセリフをひとつ。



「いやぁ、おぬしは子供、子供と言うが、子供は大人よりも働くぞぉ・・・。
もっとも大人扱いしてやればの話だがな」    


がんばれ!新成人。      終わり。